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一閑張の歴史
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1620年代
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家元1代目 飛来一閑(ひらいいっかん)が渡来
1620年代、始祖飛来一閑(ひらいいっかん)が、中国の歴代王朝のひとつである明国から日本へ渡来しました(江戸時代初期の寛永)。
飛来一閑は学者で、戦乱を逃れ、若い学者も引き連れて渡来したと伝えられています。
古代中国に伝わる乾漆工芸の印可を受けた技術の持ち主でもありました。
その一閑が、日本の良質な和紙を主原料に、 独自の技術を考案したことが一閑張の始まりです。
寛永文化
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家元2代目 分家
始祖一閑は、2代目へ引き継ぐ際に、分家しました。
一家は、茶道の道具を作る「飛来家(ひきけ)」で、お茶の千家がパトロンとなりました。
もう一家が、生活道具を作る「飛来一閑 泉王子家(せんおうしけ)」で、パトロンには大庄屋の畠中家がつきました。
この「泉王子家」の名づけ親は、当時の第112代霊元天皇(在位1663~1687)です。
畠中家が、霊元天皇と一閑をつなげたことで、分家の際の名づけ親になっていただいたと伝えられています。さらに天皇から菊水紋も賜り、江戸幕府に召し抱えられることで、一閑張を全国に広めました。
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そして、分家の際に、一閑は「これからは、両家は交わるべからず」と命じています。
作るものもパトロンも違うため、交わると争いの種になるとの想いからでした。
実際に、両家の交流は、現在に至るまで途絶えることとなりましたが、一閑は、その精神と技術を両家が守っていけば、両輪のように双方発展していくことを望んでいました。
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家元2代目以降:江戸時代の生活を支える
生活道具として多くの一閑張が作られました。
代表的な物として、お膳やお椀、仏像、花入れ、文具、雨よけや日よけの笠、菓子箱、神楽面などがあります。例えば食器は、将軍にとってとても実用的でした。
旅の時も、和紙と漆でできた軽量な食器は、持ち運ぶのにうってつけでした。
さらに、保温性にも優れていました。
当時、将軍が食事をする前に、複数名が毒見をしてから将軍は召し上がります。陶器や木製の器ですと、毒見中にお料理が冷めてしまいます。それが、一閑張のお椀であれば、冷めることなく、将軍がおいしくお食事をいただけたわけです。
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家元4代目:徳川吉宗の天体望遠鏡を制作
江戸時代の8代将軍、徳川吉宗(在職:1716-1745年)は、天体観測を始めた将軍として有名です。
吉宗が泉王子家に依頼し作らせた「吉宗将軍の大望遠鏡」は今も現存しています。詳細は下記よりお読みいただけます
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論文
徳川吉宗の一閑張大望遠鏡
The eighth shogun Yoshimune Tokugawa's ikanbari large telescope
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別刷り(抜刷り)
京都歴采館または
当アトリエに所蔵されており、閲覧できます。
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望遠鏡の筒を伸ばした状態では全長約350㎝となります。
吉宗の天体望遠鏡は、当時の技法・工夫が凝らされています。
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江戸時代の天体観測を支える
その後、泉王子家では明治初期まで、和紙でできた望遠鏡(筒の部分が和紙)を作り続けています。
徳川時代に、日本地図を作った「伊能忠敬」(1745-1818年)も一閑張の望遠鏡を使っていました。
また、江戸時代の望遠鏡制作者である「岩橋 善兵衛(いわはし ぜんべえ)」(1756-1811年)のためにも泉王子家が、望遠鏡の筒部分を制作しています。
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江戸時代の参勤交代等の陣笠は、一閑張が主流となる
今ではあまり知られていませんが、参勤交代の陣笠は一時期、一閑張が主流でした。
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戦のための陣笠は金属でしたが、江戸時代において各藩の大名が江戸へ行き来する「参勤交代」では、より軽量の陣笠が必要で、そのため木製で作られていました。
ところが、木製では落としたりすると都合が悪く、旅するときに「割れる・欠ける」は縁起が悪いということで、徳川家に依頼された泉王子家が一閑張で陣笠を作りました。
和紙と漆でできた一閑張の陣笠は、軽くて雨風をしのげ、落としても割れません。そのため一閑張の陣笠が主流となっていきました。
明治・大正
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苦境に入る
徳川家がすたれるとともに、多くの一閑張が手放されました。 手放された生活道具は、国内外へ流出しました。
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流出した一閑張が現代になり、日本全国の蔵からでてきていますが、現代人がプラスチックと勘違いし、大量に捨てしまっています。
昭和
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竜の置物を作る
プラスチック製品も含め、大量生産の時代にはいり、生活道具としての一閑張の需要は少なくなりました。
伝統工芸として、制作するようになっていきます。
愛媛県の松山市の地元有力者のオーダーにより、市役所の正面に設置する巨大な竜の置物を制作しています。1972年代
田中角栄氏の虎の置物を作る
田中角栄氏から首相就任の年にご依頼がありました。
翌年が寅年だったため、虎の置物をご所望でした。
木製・金属では「割れる・欠ける」は縁起が悪いという事、そして軽くて持ち運べる和紙での実物大の虎の置物を制作しました。
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家元14代目:現在に至る
泉王子家は、代々襲名し、当時から続く技術を受け継いできました。
今の14代目であるわたくし瑞宝は、家元13代目である父から引き継ぎ、2006年に襲名披露を行いました。
現在は、京都にアトリエを構えています。
2010年あたりからは、経済産業省が、一閑張体験の施設として紹介していただいています。
【ご案内】上記は、泉王子家に口伝で伝わる説に基づき掲載しております。
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伝統工芸 飛来一閑 泉王子家 一閑張 アトリエ夢一人
京都市右京区 詳細
休業日 不定休(営業日につきましては、お問合せください) 14代 尾上瑞宝 TEL 075-203-5012・FAX 075-331-6675