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明治・江戸から現存する一閑張
EXISTING WORKS
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現存する一閑張について
ONLY A FEW SURVIVED
江戸時代に多く作られた泉王子家の一閑張は、現代になっては、実在が確認できているものが本当に少ないのです。
多くが残されていないことは、歴史的背景と、和紙のために軽量であることが関係しています。
幕末から明治初期にかけては、近代化を背景として、国宝級の芸術作品や伝統工芸品が、多く国内外に流出しました。
泉王子家の一閑張も、例外ではありませんでした。徳川家が保有していた一閑張も、国内外へ流出しました。
そして、現代になってこれらが発掘されても、軽量で漆仕上げの一閑張は、プラスチックと間違えられてしまい、廃棄されていると考えられています。
当時は、生活道具の他に、一閑張の仏像もあり、旅での持ち運びもできることから重宝されていたと言われています。
お寺やご自宅のお蔵などに眠っている、または、どこかで一閑張のようなものが出てきた事を聞いたことがある、という方は、ぜひ当方までご連絡いただけますと幸いです。
徳川吉宗の大望遠鏡
An Astronomical Telescope
望遠鏡の筒を伸ばした状態では全長約350㎝となります。
江戸時代に本格化した我が国の天体観測
江戸中期になり西洋からの天文学が日本にも入ってきました。
太陽や月や星を観測してみると、当時使っていた暦(こよみ)と天の動きが合わないことが分かり、問題となりました。
江戸幕府のもとで、暦を改めることになり、1685年、渋川春海(しぶかわはるみ)によって初めて日本人による暦法が作られました。
この貞享の改暦の功績により、渋川春海は現在の国立天文台長にあたる江戸幕府初代の「天文方」に就任しました。
吉宗が作らせた一閑張の望遠鏡
再びの改暦観測のために、徳川吉宗は長崎の眼鏡師森家と江戸の泉王子家に命じて長大な望遠鏡を作らせ、江戸城内に設けた天文台で自ら太陽や惑星の観測をおこないました。
詳細は下記よりお読みいただけます
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論文
徳川吉宗の一閑張大望遠鏡
The eighth shogun Yoshimune Tokugawa's ikanbari large telescope
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別刷り(抜刷り)
京都歴采館または
当アトリエに所蔵されており、閲覧できます。
世界遺産キュー王立植物園に資料として残る一閑張
ENGLAND's KEW GARDENS
『英国キュー王立植物園 -庭園と植物画の旅-』コロナ・ブックス編集部 編
出版社:平凡社 出版年月:2019年4月詳細はこちら≫
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現存する一閑張
8代目家元がイギリスへお納めした品々がキュー王立植物園に残っています。
◆ 参勤交代の時に使われた陣笠
◆ 望遠鏡 ◆ 文箱(手紙入れ)◆ 筆箱(ペンケース) -
キューガーデンの愛称で親しまれる世界的なこの植物園には、広大な敷地に植えられた植物以外に、日本庭園もあります。
その魅力を紹介した本、この「英国キュー王立植物園」の出版物からも分かる通り、大変長い年月が経っているにも関わらず、非常に良い状態で、大切に保管していただいております。
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伝統工芸 飛来一閑 泉王子家 一閑張 アトリエ夢一人
京都市右京区 詳細
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